ことこと便り

岡山県津山市(旧久米町)の山・川などを拠点に活動する小さな森のようちえん

入園・体験の詳細は、 ことことオフィシャルサイトをご覧ください

作るということは、人とつながる道を開く

 

僕らが愛読している福音館書店の『母の友』。

 

いつも素敵な言葉や人を紹介してくれて、僕らの子育てにいろんな影響を与え続けてくれている。

 

今日遊びに行った児童館で手に取った母の友バックナンバーで、気になる人を発見した。それは、臨床心理学者の小沢枚子さん。僕らの活動の思いと重なる部分がとても多いので、小沢さんの言葉を紹介します。

 

 

『心』って実体がなく、ほんとは何のことか分からないあいまいなものなのに、『心の傷』、まして『心の闇』なんていわれると、人はドキッとさせられるもとのです。人を脅かす心理学語の流行はますます臆病な世の中をつくってしまうでしょう。おとなは子どもたちとおおらかに生きなくては。『いろいろな苦労もあるけど、生きていくっておもしろいよ』と、悠々と暮らす空気を送ろうとするのが、子どもへの親切というものでしょう。

『心』という目に見えないものに気をとられることなく、その代り、目に見える毎日の『生活』をこどもと一緒にていねいに積み重ねていきたい。そのなかで、一番大事な人と人の『関係』がたしかにつくられていくのだと、いま考えています。

~母の友2003年1月号より

 

 

中学生の少年三人が、路上生活をしていた一人の男性に暴行を加えて殺害したという事件が報道されました。埼玉県熊谷市でのことです。このたぐいのつらい事件に接するたびに、いつも思うことがあります。少年のまわりの大人たちは、ホームレスとよばれるこの男性に、日頃どのような態度で接していたのだろうか、おとなたちのどのような話題の仕方を少年は見聞きしていたのだろうか、ということです。もしや、おとなたちはあからさまに眉をひそめ、居てはならない存在のようにその人を見なしていたのではなかったか。『あんな人になっちゃったらたいへんだよ』などと、子どもたちに気軽に言ったりしていたのではなかったか。そのことが気にかかります。以前、どこかで同じような事件が起こったとき、少年たちが『みんなが嫌っている人を、俺たちが葬ってやっただけなんだ』と言っていたことが思い出されます。

かといって、私は『誰にでも親切に』などと、きれいごとを言おうとしているのではありません。身近に出現した路上生活者にどう接するのか、これがいかに難しい問題であるかは、自分自身よくわかります。これは差別の問題そのもので、ごまかしのない答えに到達するのは簡単ではないことを知っています。

だからこそ、おとなはせめて、その難しさをごまかしてはならないでしょう。このたぐいの事件につきものの、『命をたいせつに』というせりふは、肝心の差別の問題をはぐらかしています。苦闘のないそのそらぞらしさから、子どもたちは何も学ぶことはできません。困り、悩みながら、それでも目をそらさずに答えを探すおとなたちの姿があってはじめて、子どもたちも問題の切実さを感じ取り、考え始めるのだと思います。

『心の教育』という言葉が流行しています。でも、かんたんに教えることができないことが余りにも多い、難しい時代です。子どもに『心』を教えられるという思い上がりを捨て、せめて迷いながら正直に考えあう関係を、子どもと作っていきたいものです。

~母の友2003年3月号より

 

 

 

全て買わされているから、まず買わないで作ることです。そして作ると、一人ではつまらないから一緒に作ったりします。作るということは、人とつながる道を開くのです。とにかく爪を切って何でもいいから作るのです。出来れば一緒に作るのです。そしてもう一つ、私たちが思い出さなければいけないことがあります。それは、私たちを癒してくれる大きな力を持っているものとして、私は自然の力があると思うのです。自然というのは、何か大きな声で言わないし、周りにあるから気が付かないけれども、例えば風が吹いてきて気持ちいいなとか、夕焼けが本当に綺麗だなとか、そういう自然の持っている私たちを癒してくれる力は、とても大きいものがあるので、それを思い出す。そしてその力を借りて、辛い時とか苦しい時に助けてもらうのです。そういうことを当たり前なのですが、もう少しやったらいいと思います。子供たちにも教えたらいいと思います。自然というのは、誰にでも平等で、様々な力をくれます。散歩という言葉がありますが、これは誰かが「気を散じて歩く」というので、散歩というのだと教えてくれました。本当かどうかはわかりませんけれども、なるほどと思いました。自然の中を歩くことで、気分が変わることがあるし、土の持っている大きな力があります。人と自然の関係というものをもう一度、丁寧に見て気づいていく。そして人と人との見える関係が大事です。ネットの関係というのはやはり見えないから、脆いのではないかと思います。これは付き合いというよりは、情報に近いと思います。情報ではなく、人と人との関わりを生活の中に取り戻していく。それは大きなことを考えると、あまりにも問題が大きいので出来ないと思うかもしれませんが、まず今日できること、何かを一つ作ることは今日から出来ることです。自然にもう少し気を配って、自然からその癒す力をもらうということも、今日からできることです。それを重ねていく中で、何かもう少し大きいものが見えてくると思います。その方向を少しでも実現することが、この困難な心という言葉に覆われている時代を、実際の身体と人とのつながりの暮らし、人と人の間にある仲を作っていく。その一歩ではないかと思います。本当に小さなことしか言いませんが、ここから始めないと次がないと考えています。

小沢牧子先生講演会 2013.4.13(土)記録より抜粋

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http://www.renkoji.jp/v2/news/news_163.html